<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" 
			xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" 
			xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" xml:lang="ja">
<channel rdf:about="http://asahi1560.blog61.fc2.com/?xml">
<title>THE　RISING　SUN</title>
<link>http://asahi1560.blog61.fc2.com/</link>
<description>この世はおもしろい・・・・いや、おもしろそうだ。だからもっと知ってやろう。</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-33.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-32.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-12.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-33.html">
<link>http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-33.html</link>
<title>アウフへーベンブログ</title>
<description> 早稲田の草竹たちとやっている勉強会「アウフヘーベン」ブログに記事を書いたので一応リンクを貼っておく。近代の超克と「モラリッシュ･エネルギー｣さて、この記事を踏まえてここに書いたことは、いわゆるナショナリズムが世界を動かすということだ。それに対して僕は、そのようなナショナリズムを持つことはアノミー状態に比べればましだろうという感想を持った。しかし日本全体あるいは世界各国における状況を考慮に入れれば、ナ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 早稲田の草竹たちとやっている勉強会「アウフヘーベン」<br />ブログに記事を書いたので一応リンクを貼っておく。<br /><br /><a href="http://ameblo.jp/aufhaben-japan/entry-10380313944.html  " target="_blank" title="近代の超克と「モラリッシュ･エネルギー｣">近代の超克と「モラリッシュ･エネルギー｣</a><br /><br />さて、この記事を踏まえて<br />ここに書いたことは、いわゆるナショナリズムが世界を動かすということだ。それに対して僕は、そのようなナショナリズムを持つことはアノミー状態に比べればましだろうという感想を持った。しかし日本全体あるいは世界各国における状況を考慮に入れれば、ナショナリズムの高揚は各国の自国（自民族中心主義）を生み出すにすぎないかもしれない。（すでに先進国の中でもアメリカにそれは見られるだろう）<br />ここで丸山真男がナショナリズムの効用を説くのをやめて言った経緯を振り返ることは意義があるだろう。丸山は戦後日本が自立するためには日本人がナショナリズムを回復することが必要だと考えたが、その後の日本人の様子をみてその考えを改めるようになる。それは人々がアトム化して非政治化している一方で、ナショナリズムのようなものによって簡単に集団として集合意識を高め、また強い政治化を起こす性質をもつということを見抜いたからだ。つまり、普段政治に関心を持たない日本人のナショナリズムを高揚させると、それは第二次大戦にみられたようなウルトラ･ナショナリズムに結びつく可能性が高いということだ。<br />そのように考えた場合、アノミー的秩序とウルトラナショナリズムの間でうまくバランスをとらなければならない現代日本の思想的課題は大きい。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-05T00:58:02+09:00</dc:date>
<dc:creator>Asahi</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-32.html">
<link>http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-32.html</link>
<title>なんのために学問をするのか？</title>
<description> この問いに答えることは難しい。というのも、ある友人Kがこんな内容のことをmixiに書いていて、ふと悩んだのだ。「いまドイツ政治の勉強に充てている時間をすべて語学に充てれば、ある程度堪能になれるんじゃないか。そっちのほうが有意義なんじゃないか。大学院にも行かない自分にとって、いまこの時間を将来飯の種にもならない学問に費やすのはどうなのか？」うーん、耳が痛い。俺は大学院にいくつもリだけど、博士とか進むつも
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ この問いに答えることは難しい。<br /><br />というのも、ある友人Kがこんな内容のことをmixiに書いていて、ふと悩んだのだ。<br /><br />「いまドイツ政治の勉強に充てている時間をすべて語学に充てれば、ある程度堪能になれるんじゃないか。そっちのほうが有意義なんじゃないか。大学院にも行かない自分にとって、いまこの時間を将来飯の種にもならない学問に費やすのはどうなのか？」<br /><br />うーん、耳が痛い。俺は大学院にいくつもリだけど、博士とか進むつもりはないし、したがって研究職になるつもりもあまりない。理由はKと同じく、自分には学問的ｾﾝｽがないとおもうからだ。つーかKにないなら俺にあるはずがない。<br />ではなぜそれなのに大学院にいくのか。それこそ早く働けばいいものを。<br /><br /><br />俺が院進学を決めた時の動機は次のようなものだ。<br />①興味のある学問をやっている時、単純に楽しいと思えるから。<br />②公務員になったとき、他人とは違う価値を持っていたいから。<br /><br />①はそのまま、1度きりの人生、今しかできないことをやるべき、というような考えかた。もちろんこれは、1回社会に出てから院に入りなおすっていうのもありであって、現に知り合いにはそういう人もいる。だから決定的な理由にはならない。また、学問は大学院でしかできないものではない。忙しすぎない仕事に就けば自分で好きな本をたくさん読むというのも可能かもしれない。<br /><br />②どちらかというと、こっちが大きい。学部卒で国一に内定していく友達が回りにわんさかいるのだが、彼らと一緒に仕事についても自分のとりえというものがないから・・・というネガティブ思考に陥っていた。その解決のために、入省時点で学問的なハンデをもらおうということから、大学院で勉強しようと思ったのだ。<br /><br />だが、このときの俺が専門分野として考えていたのは、地方自治だった。<br /><br /><br /><br />で、現在の卒論は？→京都学派における共同体と個人<br /><br /><br />・・・大学院でもそっち系やるわけだ。完全に①を追求しすぎている。<br /><br />でも俺はべつに後悔してはいない。なぜならこんなこと研究することはこれからないだろうから。省庁に入れば、いくらでも地方自治とか学ばなければいけないし、実践していかなければならない。<br />けど、絶対京都学派なんて勉強しない。<br />これって、普通に生きていたときより、人生が豊かになっている、という気がするのだ。テラポジティブ。<br /><br />そのような状況に陥って、ぼくはKのmixiに次のようにコメントした。<br />「ぶっちゃけ学問はオナニー」<br /><br />語学をやって外国人とコミュニケーションをとろうが、政治学をやって世の中を政治学的フレームワークで見ようが、人生においてその価値は等価、というかその人次第だと思う。どっちを身につけた人が幸せか、とか一概には言えない。政治学をやっていることで、社会に対して働きかけをする（童貞を捨てる）時にうまくいくかもしれない。もちろん市民としてはそれが望ましい。でも手に職をつけたり、語学が堪能になったほうが、他の豊かな経験ができるかもしれない。いまはそういう世の中だ。アンガージュマンとかぶっちゃけはやらん。<br /><br /><br />だから、いまいる東京大学の中に蔓延するある種のキャリア志向は、童貞を捨てられる立場をではあるけれども、一方で人生をオナニーに費やすというのもありかもしれない。そんな高校生みたいなことを考えていた。そして考えてみれば、この歳（22）にもなって、人生の選択肢がまだまだたくさんある気がしてなんかうれしい。（これだからなかなか大人になれない）<br /><br />＊ウェーバー　『職業としての学問』<br />まだ読んでない。<br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>論説</dc:subject>
<dc:date>2009-10-19T01:40:28+09:00</dc:date>
<dc:creator>Asahi</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-12.html">
<link>http://asahi1560.blog61.fc2.com/blog-entry-12.html</link>
<title>秋葉原事件/号外/集合意識</title>
<description> 日曜日、秋葉原でひどい事件が起こりました。その日の5時ごろ、新宿西口を歩いていた俺は、読売新聞の号外が配られているところを通りました。 その号外が配られている光景が目に入った瞬間、なぜか背筋がゾッとして、すごく変な感覚に襲われました。それも一瞬ではなく、その場を通り過ぎるまで、ずっと感じていたのです。 単純に考えれば、事件の悲惨さに戦慄した、みたいな感じでしょう。でも、その時も「そうなのかな？」と自
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 日曜日、秋葉原でひどい事件が起こりました。その日の5時ごろ、新宿西口を歩いていた俺は、読売新聞の号外が配られているところを通りました。 <br /><br />その号外が配られている光景が目に入った瞬間、なぜか背筋がゾッとして、すごく変な感覚に襲われました。それも一瞬ではなく、その場を通り過ぎるまで、ずっと感じていたのです。 <br />単純に考えれば、事件の悲惨さに戦慄した、みたいな感じでしょう。でも、その時も「そうなのかな？」と自問自答した結果、どうやら違うと思ったんです。しかも秋葉原の事件はすでに知っていました。それを知った時とは違うこの感覚は一体何なんだろうとずっと考えていました。 <br /><br />漠然と、考えたことをメモっておこうと思います。  ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>論説</dc:subject>
<dc:date>2008-06-10T18:49:32+09:00</dc:date>
<dc:creator>Asahi</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
</rdf:RDF>